避暑を兼ねて道南の旅に出かけた。函館市の人口は昔は30万人と聴いていたが、今は広域の函館市を含めて24~5万程度に減ったそうである。風情があった函館駅は近代的な建物に置き換わったが、駅前の通りにクルマも人影もまばらで、地方が崩壊しているのは手に取るように見えた。下、写真中央から右部分に映る建物が函館駅である。
タラバガニをいけすに泳がせている海鮮料理店も古臭くなり、もはやインバウンドを相手にしたビジネスで頼るしかないというのが札幌を除いた北海道の実情である。
この日は函館山のロープウエイに乗るのに30分待った。週末は1時間待ちだそうである。待っている人は、大部分がアジアからの子である。この子たちにとって北海道の歴史的背景や、明治になって職と身分を失った武士達が家族を引き連れ未開の地に足を踏み入れ、原生林を伐採して土地を開いた苦難を知る由もなく、関心はインスタ映えの優劣だけである。ここロープウエイの展望台はスマホに伸長式手持ちバーをつなげて自撮りをする若者で溢れていた。
顔を観ればわかる。この子たちはシンガポールから来た。この子は台湾だ。この子たちは中国本土からだ。若者は男子も女子も堂々としている。
SNSが広く普及し、低運賃の航空会社が増えたことで、国境線がなくなってきた。日本の若者も、積極的に海外に出かけ、人間を知って欲しい。戦争のない世紀はそこから生まれるというものだ。
地方都市は、どこでも古いものが廃れ、新しいものが生まれない。地方が劣化するのではなく人間が変化に対応できなくなっている。政治の責任も大きい。毛ガニを獲る漁師はそれだけで生計を立てている。その構図が市場に持ち込まれる。市場で活きた毛ガニやタラバガニを置いたところでおいそれと観光客が買うわけではない。カニを見る観光客の受け止め方が変わってきているだけだ。
それを証拠にある市場ではうちで海鮮丼を食べてくれればタラバガニを手に持って撮影してもよいと、ポスターが貼ってある。もちろん中国語簡体文字と繁体文字、それにハングル文字を使ってだ。タラバガニは、ここでは食べ物ではなくなり、インスタ映えする奇怪な生き物と化している。
みずからに投資をしないから古いカタチから抜け出せない。素材価値しか提供できない地域に、パッケージ価値を求めることはできない。ここ道南は、わずかにスイーツ業界が異なるようである。牧場と直結してミルクをベースにしたスイーツ店が東京でも有名になっていて、ネットで知っていたが、実際に訪問して食べてみると軽やかなミルクの味がしておいしい。だが、それとて新しい産業が生まれているとは言いずらい。
函館は、横浜、神戸、長崎と合わせて開港した街で、異国情緒あふれた町並みが残り、非常に好きな街であった。それだけに道南の旅1夜は、地方崩落の姿を見せつけられてしかもテネシー・ウイリアムズの戯曲「熱いトタン屋根の猫」のように、「動きたくとも動けない猫に熱く熱せられたトタン屋根からの熱が容赦なく襲い掛かる」状況が分かるだけに、久々の訪問で地方が抱えているコトの重大さを再確認し唖然として過ごした一夜であった。