軽井沢に住む知友から「紅葉がようやく軽井沢へ下りてきたから今週末にでも軽井沢へきませんか」と携帯に知らせが入った。週末は仕事をする予定であったので11月1日(土)ではどうかと聴くと、少し遅いでしょうと言った。私が「駆けぬける歓び」をモットーに生きていることを知っている軽井沢の知友は、「来年も紅葉を見ることができると思っているの?」とさりげなく言った。その手の言葉に弱いことを見抜いているのであった。
道路渋滞を予想して6時半に家を出た。雨交じりの空模様であったせいか、ことのほか道路は空いていて、8時半には知友宅のドアをノックしていた。知友は早い到着に驚き、それから「北軽井沢へ行きましょうか。紅葉がどう下りてきているか分かるから」と思い切りの笑顔で言った。千が滝通りは紅葉の盛りであった。特に千が滝温泉近くの紅葉は思わずクルマを停めて撮影をするほどの出来栄えであった。
鬼押し出しまで着くと紅葉はもうなく、あたりは冬景色であった。浅間山の噴火レベルは最近レベル2に上がった。噴煙と霧の境目が見えなかった。「浅間はいつ見ても怖い」と私は言った。知友は『私は慣れた』と返事を返した。『もうここには紅葉はないでしょう』と重ねて言った。それを見せたくて知友は私をここまで連れて来たのであった。
それからクルマは千が滝通りに戻り、南が丘に出た。ここの別荘地は鹿島の森や泉の里などと違って光が差す。だから杉苔がない変わりに紅葉が盛りであった。
知友と私は、落ち葉を踏みしめて歩いた。青いまま落葉したかえでと色づいて落ちる葉があった。マーブルチョコレートをひっくり返したような美しさと思った。自然に勝る造形はないと知友は言った。
『服部さん。仕事を軽井沢でやれるようにして奥さんと二人で軽井沢へ引っ越してきなさい。軽井沢はいいですよ。私は住むほどにその思いが強くなりました』と知友は私の目を見ながら言った。「いい話ですね。そうしたいですね」と私は返事をした。
時間は午前10時40分であった。暮秋の軽井沢は、この時間ではまだどこも店を閉じていた。11時になったら然林庵が開く。ここは林の中にある。大きなログハウスで飲む自家焙煎の珈琲は絶品だ。
「然林庵に行きましょう」知友は突然に言った。同じことを考えていたのであった。それからクルマは別荘地を抜けながら泉の里に向かった。南が丘通りを北進し、18号に出ないで北へ行くとすぐに離れ山通りの小さな交差点に抜ける。ここを北進して次の十字路を左折すれば然林庵である。
紅葉に燃える林に佇むようにしてある然林庵で、珈琲を飲んでいる間、二人は多くを語らなかった。気を遣って言葉を交わさなくても静かに暮秋を楽しめば、それで二人は通い合っていた。まもなくここも氷の世界になる。私はそんなことを考えていた。
そのとき私の携帯電話が鳴った。親しい建築家からであった。「来週末は空いていますか?」「一日の土曜日なら空いていますが」と私は答えた。「ちょうど良かった。この日、軽井沢に行きませんか」と建築家は言った。
「ええ喜んで」私はいま軽井沢にいるとも言わなかった。「それでは予定していてください。新幹線で行きます。詳しいことは後日」で電話は切れた。
また静かな時間に戻った。再び軽井沢へ来ることを知友にも告げなかった。知友から誘われていま、ここにいるのであった。知友といま一緒の時を過ごすことを大切にしたい。だから話さなかった。外を見て来週には紅葉は遅いだろうと思った。いや、これから紅葉する木もある。晴れたら落葉松が光を浴びて金色のヘリコプターのように舞い落ちる姿を見ることができるだろうと思った。
それから私は横に座る知友に「未来は過去の延長ではなく、いくらでも切り開いていくことができるのです」と言った。知友は「そうだと思う」と私の飛び跳ねた会話に合わせた。外は空気も染まるような紅葉であった。