「野のはな」で昼食をとった私たちは、それから一気に奄美大島の南部、瀬戸内町の古仁屋港へ向かい、フェリーでクルマごと加計呂麻島に渡った。写真の船は町営のフェリーでクルマと人を別料金で扱う島民にとっては高いと評されているフェリーである。
加計呂麻島に渡ってから島の南部に回ると、深い入り江の向こうに与路島と請島が見えた。奄美にはこんな言葉がある。それは、【沖縄の昔を知りたければ今の奄美大島を見ろ。奄美大島の昔を知りたければ今の加計呂麻島を見ろ。昔の加計呂麻島を知りたければ今の予路島、請島を見ろ】というものだ。私は以前、奄美の花井さんから聞いた幻想的なこの話を突然に思い出し、予路へ渡れば島の昔を見ることができると、とっさに思いついた。
「予路に行きましょう」私は泰さんに言った。田町さんがにこりと笑った。田町さんは私を奄美の色々な場所に案内したくてたまらないのだ。なにしろ外語大学出身で英語はもとよりインド語、パキスタン語を話す京都の才女が、奄美の文化に惚れて12年間も奄美で暮らすほどの奄美ぞっこん人間なのだから。こうして予路島行きが思いがけず実現したのである。
予路島には古仁屋からフェリーが出ているものの便は少なく、普通は海上タクシーを使う。貸しきった海上タクシーは港に停泊し私たちが来るのを待っていた。片道約30分。600馬力のエンジンを積む船は高速で与路島に向かった。予路島は周囲18.4キロ、面積9.48キロ平方メートルの島だ。加計呂麻島の入り江にいる間、波は静かであったが、入り江を抜けると船は大きく揺れた。冬場は西風が強くて与路島には、なかなか渡ることができませんと田町さんは説明をした。上の写真はわざとカメラを斜めに曲げたものではない。船が揺れるのでカメラが被写体に対して曲がってしまうのである。
奄美群島を知らない人のために説明をすると、奄美群島は鹿児島県と沖縄県の中間に位置し、8つの有人島がある。北から挙げると (1)奄美大島、(2)喜界島、(3)加計呂麻島、(4)予路島、(5)請島、(6)徳之島、(7)沖永良部島、(8)与論島の順序で並ぶ。
私は若い頃から日本中を旅して、「土地の文化はグラデーションのように連続して徐々に変化する」と確信を持っている。8つの有人島はいずれも鹿児島県に所属するけれど、徳之島の北半分は鹿児島の影響が強く、徳之島南半分から沖縄に向かうにつれ次第に沖縄文化の影響を受ける。ちなみによろん島に詳しい泰さんは、「与論は沖縄文化そのもの」と言っている。
与路島に着いた海上タクシーは我々の戻りを港で待つといった。燃料費が内地よりはるかに高い島では、1時間半を待つことなど造作もないことで、船長は釣りをして待っているといった。
予路島に集落は一つしかない。集落に入った私を驚かせたのが珊瑚の石垣と、無数に立てかけてあるハブ棒であった。