驚くべき夢体験をした。ここは無人の世界で音はない。時間はあるのかどうかも分からない。空間は存在する。肩幅だけの寸法が一段下がっていて私はそこに横たわっている。足元から続く延長線上は水平線のようである。
一段高い右側のウインドーには私のこれまでが走馬灯のように流れている。それは私の過ぎ去った人生だ。喜びも哀しみもこの画面を見つめている私にはまったく感じない。画面の中にいる私は、情念に振り回されている。やがて走馬灯の画面は終止符を打つ。『人生は一箪の夢であった』と私はつぶやく。喜びも哀しみも存在していなかったのだと私は気付く。一切はなにも存在していなかったのだと私は気付く。
左の一段高いところには小さな四角形の入り口がある。そこから先は何も見えない。私のいる空間は白とエアスプレイで描いた青色で統一され、ほかの色彩はない。
私が横たわっていた世界は、どこかで刷り込まれていた空間であった。この空間は画家森秀雄が描くキャンバスの世界であった。天国でもなく地獄でもなく煉獄でもなかった。極楽でもなく地獄でもなかった。森秀雄がエアスプレイで描いた、冷たげな世界であった。
私はひょっとしたら再び起きあがらなかったのかもしれない。このまま左側に見える小さな四角形の入り口から別世界に移ってしまったのかもしれない。誰も私に声を掛けない。誰も私を起こそうとはしない。それなら私は自力で現実の世界に戻らなくてはいけないと思った。
現実の世界とは、横たわっていたあいだじゅう、一箪の夢に過ぎないと思った右側のウインドーに流れていた世界のことだ。私はどちらが現実なのか分からなくなった。私は戻っても仕方がないと思った。
それでも私は戻って一箪の夢と感じたこの世界で生きている。そして一箪の夢と感じたことは心のしこりとなって残っている。
私は目覚めても、しばらく足がもつれて徒歩ができずに、家人を驚かせた。同時に途方もない未体験の睡魔が襲っていた。手術台に登って全身麻酔の注射を打たれたときに似た未曾有な睡魔であった。到底逆らうことができない奥深いところへ吸い込まれるような睡魔であった。
私はここで眠ったら、また森秀雄の世界に横たわってしまうのではないかと感じた。家人が運転するクルマで会社に出ると、やがて不思議な体感は消え失せた。
私は心霊幽玄の理を信じない。私は体験が重なり合うことによって覚醒したかのような夢幻なる体験をした。それはなぜ? その目的はなに? 何故に生と死の狭間に横たう夢を見た? 私に何を教えようとした? 誰がなぜ?