執筆中のビジネス小説は遅々として進まないが、それでもまもなく半分になろうとしている。主人公は八重山の石垣島から上京した女の子で、名前は稲嶺うららである。私はうららに感情移入をして書いている。
同じ稲嶺姓でも前の沖縄県知事であった稲嶺恵一氏の「我以外皆我が師」が出版され、親しくさせていただいている、弟の稲嶺有晃氏からご恵贈賜った。きょうは本書を読む日に決め、事務所で読書をしている。
稲嶺姓は旧首里士族にある名門の出である。14世紀、琉球は本島に三つの大きな政治勢力があった。一つは島尻大里城を拠点とした南山。二つは浦添城を拠点とした中山。三つは北部の今帰仁城を拠点とした北山。この時代を琉球王国では三山時代という。それ以外にもたくさんの城(グスク)があって、戦国時代であった。
南山の佐敷按司であってやがて中山を攻略した尚巴志(しょう はし)は、拠点を首里城に移し、いくつもの城を攻略しながら1416年に今帰仁の北山を、1429年に南山を攻略して統一王朝をつくる。旧首里士族とは、日本流に解釈をすれば徳川直轄の旗本であったという意味である。儒教の影響が濃い沖縄では序列をとても重視するから、いまでも首里士族は格式が違うと高い誇りを持っている。
そんなわけで稲嶺うららはおじいから自己紹介する時は必ず先祖は旧首里士族であったといいなさいと言われ忠実に守っている。
うららは、川平集落の出身である。この写真は川平湾。この海でうららは育った。ビジネス小説といえども架空のことは書けないので検証が必要である。そこで私は稲嶺有晃氏に依頼して氏が社長を務める会社の八重山支店で検証をしていただいている。
国境線を変えることは国の力で決まる。1609年、琉球弧の島々は薩摩藩の支配下に入り琉球王朝は中国(明)向けの偽看板になった。明治5年、日本は琉球を日本領土に組み入れた。これが「琉球処分」である。当然中国(清)は反発したが日本は台湾に出兵、続いて日清戦争を経て琉球は日本のものと認めざるを得なかった。
琉球処分のあと尚家は本土に移され台東区に住む。その子孫が所有する琉球王朝の文化遺産を台東区に寄贈すると発言して沖縄では物議を醸した。琉球文化遺産は沖縄に戻して県の財産とするのが正しい。台東区が所有しても価値は生まれない。
いつの時代でも国力が弱くなると国境線が変わる。巻き込まれた人々は代々にわたって難儀をする。
世界の警察アメリカは、中東で起きている津波に似たうねりを解決できない。ネットは世界の形を変えようとしている。アメリカは世界中に民主主義を広めようとする考えを捨てて、アメリカのことだけを考える国になろうとアメリカ政府でそんな声が起きているようだ。世界はまた新たな戦国時代に戻るかもしれない。
小説の中の稲嶺うららは、おばあが大好きで、おばあの言いつけを守る、明るく素直な女の子である。人は誰でも時代背景を背負って生きている。未来の世の中を生きていく子どもや若者のために、いまの大人はどのような形で国の仕組みをつくって後世に残していくのか。子ども達は何の目的でこの世の中に送り出されてきたのか。そんなことを考えながら、うららに思い入れをしてビジネス小説を書いている。