日本は四季に恵まれているから、自然を愛でる言葉は実に多い。散った紅葉を散紅葉と日本人は名付けている。紅い葉が枯れていって枯紅葉になる。
軽井沢の紅葉は終わって、枯れ木の風景は来年の4月一杯まで続く。
私は軽井沢で人と会う約束があった。「仕事の打ち合わせをしながら軽井沢へ行こうか」と知人を誘ったが、当日朝キャンセルの電話が鳴った。
私は一人で、今冬最後になるだろう軽井沢へ向かった。どんよりとした空であった。途中で小雨が降ってきた。しかし軽井沢は晴れではないものの、凍結というイメージからは程遠かった。南ヶ丘で待ち合わせをして、離山の然林庵で約2時間話をした。
暖炉には薪が入ってめらめらと炎が舞っている。「冬は本当にいいですよ。雪が降るともっといいですよ」と知人は軽井沢の自然を愛でる。
それから、私のクルマで二人は追分のそば名店「きこり」へ行った。
きこりは、18号浅間サンライン交差点右角にある。
追分も軽井沢町追分と言って町内である。江戸時代の宿場でいう軽井沢宿、沓掛宿、(中軽井沢)、追分宿の三宿を軽井沢町にしたため、地元では軽井沢を区分けする場合に、この三宿名を区分けの単位とすることが多い。
軽井沢駅周辺は、新幹線の駅もあり、名所もたくさんあるところから、観光客相手の店が多いため、一回客を対象にしたビジネスをやる。
一方、追分は軽井沢には、観光客はなかなか行かない。
堀辰雄や芥川龍之介の研究者などは、何度も訪問するだろうが今どきの若者に、堀辰雄と問うてもわからない。
観光客が圧倒的に少ないために、そこで飲食店は地元の人を対象にした何度も買ってくれ食べてくれるようなビジネススタイルをとる。
「名店は、軽井沢より、追分や小諸、東御に多いですよと知人は語った。軽井沢は観光客相手ですからと付け加えた」
「きこり」のそばは、そんなわけで本当に旨い。香りもあり、味もあり、こしもある。そばつゆがまた旨い。
帰りは渋滞もなく、関越の練馬で降りてそのままオフイスに戻った。明日やることはたくさんある。土日は仕事だ。
帰路、運転をしながらなぜか高校時代に習った漢文を思い出していた。
主人は知らない町に家来と旅をして、宿をちゃんと覚えておけよと命令をする。家来は、はいかしこまりましたと、返事をするが、主人が心配した通り、家来は宿を探せない。
私は宿の屋根に留まっているカラスを忘れないようにしっかりと覚えておきました。おまけに宿の塀に唾を掛けておきました。
今日、その意味が突然に分かった。
動くものを目印にしてはいけない。動かないものを目印にせよということだ。現象を目印にして生きてはいけない。現象は次々と変わっていくからだ。そうではなく原理原則を、いつでも動かないものを、変わらないものを目印に生きよということだ。
何とも不思議な感じがしながら暗くなった高速道路を東京に向けて単調なハンドルを握っていたのであった。