18時になると真っ暗になっていたものが、いまは18時でも黄昏時の明るさが残っている。いままではビルの屋上から射す午前9時の朝日が、私の目を射ていたが、いまは日は高く昇り、目に当
たらなくなった。都会の営みの中にも宇宙の運行を感じる。
今日はクルマで出社した。最大級の寒波が北日本を覆っている。その余波を受けて東京の風は、音を鳴らして吹いている。
私のオフイスは、東南がいっぱいに開けている。ベランダに立てば東南西が高台から一望できる。
ベランダには一鉢のサボテンがあった。仕事にかまけて水も栄養もやらないので鉢の土はからからに乾燥して、サボテンも乾燥し腐っているようだが、なんとサボテンの先頭には若葉色の新芽が出ていた。
めったにベランダに出ることがないから、めったにサボテンには会わないのだが、目に触れるとこの植物の生命力に驚嘆する。私はあわてて水を与える。すると目ではわからない針が私の手に無数に突き刺さる。いつもだ。
針の刺さったところは痛く、ものに針が触れると激痛が走る。やがて刺さった部分が炎症を起こしてほんのり肌色が変わる。
そこで私は初めてどこにサボテンの針が刺さったかを識別できる。それから毛抜きを使って一本ずつ針を抜く。
もうサボテンを触るのはよそうと思うのだが、時折西の空を赤く染める夕焼けが見たくてベランダに立つと、けなげに生きているサボテンが目に入ってくる。
私はあるとき意を決して、雨水の排水溝にサボテンを移した。雨が降れば水に触れることができると思ったからだ。サボテンに触れなかったが、手に針が刺さって取り除くのに時間が掛かった。
それでも、もうサボテンの命を思い煩うことはなくなると安堵感が残った。
そんなことは忘れていた今日、川口アパートメントの壁が西日に当たるころ、何気なくベランダに立ったら水を得てサボテンが復活していた。私はその姿をカメラに収めた。しかしまた手の甲がチクチクし始めた。近づいただけでサボテンは気配を察し何かを感じて針を放つのかもしれないと思った。両手の甲や指がチクチクと痛い。
一分一秒たりとも自分の責任で、自分の時間を使って生きているのが人間だ。私は自分の責任で新しい仕事にチャレンジした。その結果、グローバル企業の顧客から、「いままで十数年、とてつもないお金を使ってアメリカからのICTを導入して失敗し、自己開発したICTを使ってうまくいかないことを繰り返してきたが、ようやく本物に出会った。服部さんの理論は正しい」と言われた。グローバルで展開する別の企業からは、絶賛されている。
だからこうして週末も仕事を続けているのだが、窓の外には太陽が運行し、月も星も運行している。針で手におえないサボテンも生きている。まるで私は閉じ込められた人間みたいだと苦笑しながら生きている。
まもなく3月だ。カエデの木は地中から水を吸い上げて春の訪れを待っている。