土曜日に、久しぶりにクルマの運転をした。人車一体となったきびきびとした運転ができて楽しかった。そこで機敏さがおもしろくて、明日はドライブへ行こうと決めた。日曜日の朝になって家内を誘ったが、用事があるので行けないと言った。A型の血液人は急な話には乗ってこないと思いつつ、君子は豹変できるO型人間は一人で行こうと決めた。
朝10時半に家を出た。土曜日の運転でタイヤの空気が甘いと分かっていたのでガソリンスタンドに持ち込んて空気を入れた。前輪2.4、後輪2.7という設定だが案の定、両輪とも2キロを切っていた。それからすぐに高速へ乗り、軽井沢へまっしぐらに向かった。
往路は外環も関越も道路は独占状態であった。乗車人員一人のクルマは軽快に、想像を絶する短い所要時間で軽井沢へ着いた。我ながら信じられない心地であった。
軽井沢はまだ冬景色で、木々は枯れ木のようである。しかし車外の気温は7度を指していた。外へ出ても寒くなかった。知人を呼び出してコーヒーを飲んで近況を語り合った。いつもは南が丘の「丸山珈琲」で会うのだが、喫茶店は閉めていた。丸山珈琲はいまだ冬休業のさなかであった。
ここのコーヒーはとても旨い。丸山社長が一年の半分くらいは世界中のコーヒー産地を歩いてコンテストで賞に入った旨い豆を仕入れる。自分自身も審査員になるくらいで、コーヒー業界で知らない人はいない。コーヒーをガラスのプレス機で入れてくれる。コーヒー豆に相当の自信がないとプレスでコーヒーは入れないらしい。
休業なら仕方なく、別な店を探して、コーヒーを頼んで1時間ほど話をした。
それから、私は追分の、浅間麓にある「ヒマラヤハウス」に向かった。
ヒマラヤハウスは、先回訪軽したときに友人と二人で行ったのであった。以前からHPを見て気になっていた布地屋さんで、夫婦二人で東南アジアのラオスやタイに出かけ、日本人など絶対に行かない小さな村を訪ね、はたおりの人たちと親しくなって宝石のような布地を買って、追分の山の中でひっそりと販売している。
先回、一緒に行った友人は布地にも専門的に詳しく、彼はヒマラヤハウスに置いてある布地を見てびっくり仰天してしまった。素晴らしくよく、素晴らしく安かったからである。
都会で売れば3倍の価格をつけても売れてしまう。いや、8倍でもたくさん買う人がいると私は思う。それほどヒマラヤハウスの布は光り輝いていた。
しかし、先回はすぐにはたどり着けなかった。18号を西に向かって浅間サンラインに入り、右折するのだが、そこはもう何の目印もない林道なのだ。時速50キロで走っていれば細い林道などすぐに通り越してしまう。先回は地図を持っていたが、とてつもなく先まで行ってしまい、戻ってからも15分くらい辺りをさまよった。
「こどう」で、友人と話をしていてふとヒマラヤハウスを思い出した。
地図もなく行けるかなと思ったが、やはり一度行っている場所であった。まるで自宅に帰るように一直線で着いてしまった。
私は竹を細く薄く切って小さなかごを編み、そこに漆を塗って小さな器にしたものがほしかった。先回はそれがお店にあった。友人はその価値を知って買った。
店主は私をよく覚えていて、自宅へ誘ってくれた。だが目指すものはなかった。
夫人は、100日ばかりチェンマイをベースにして近隣諸国へ仕入れの旅をして帰ってきたばかりだが、今回はミャンマーに日本人は入国できなかったという。だから私の目指すものは入手できなかったと説明があった。観光土産で売っているが、ほとんどがプラスチック製の偽物と説明が加えられた。本物の仕掛品を見せてプラスチックで作った偽物を販売する手口であると店主は語った。
この品は友人が買ったので私もほしくなったわけではない。
私は中学時代の国語の恩師と50年ぶりに再会をした。私がインターネットで師を調べて、連絡を取ったのであった。師はコトのほか再会を喜んで、私は師から香川の漆器であるキンマの香合をいただいた。この原型は東南アジアにあって竹を細く薄く切って編んで漆で塗り上げたもので、探しているが手に入らないと師から説明を受けた。それこそが先回、ヒマラヤハウスに在ったものであった。
その品はなかったが、店主は奥から色々な布地を持ってきて広げて見せてくれた。どれもこれも手仕事で気が遠くなるような仕事をしている美しい布地ばかりであった。店の奥にログハウスを自分たちで建てたと店主は語った。ここに薪ストーブがあって暖が取られていた。壁には幾種類もの古布が貼ってあった。店主が持ってきたものはすべてがシルクで、草木染で、精緻な手刺繍であった。私は紅茶を飲みながら夫妻と布地を語り、布地を愛で、布地の手触りを楽しんだ。それから小さな買い物をした。あいにく手元に現金はわずかしかなく、カードは使えないと聞いていたので困りましたねと言ったら、カードは使えます、今日は家内がいますので使えますと返事があった。あれ?先回カードは使えないと言っていませんでした?と私は夫人の前で店主に訊ねた。
「中には数十万円の品があるので、カードを使えますかと訊いてくるのだけれど、自分はカードの使い方が判らないから、みな断ってしまう」と店主は、悪いことがばれた少年のように夫人の前で、ばつの悪い顔をした。私はその一言でとたんにうれしくなってしまった。そこで私は追い討ちをかけて「友人が先に現金を送るから、入金確認後に品物を送ってくれないかと電話で訊ねたら、店に来て買ってくれとご主人が断ったそうだ」と夫人に言いつけた。店主は終いにロバのような顔になってしまった。夫人はそのやり取りを笑いながら聞いていた。そして服部様がカード決済利用者第一号ですと言った。何でウチのお客様はカードを使わないのだろうと思っていましたと笑った。なんともおおらかであった。そんなこともあって私は名誉ある一号になったわけである。それから私は許しを得て布地の幾枚かを撮影した。
外はいますぐにでも崩れそうなどんよりとした景色であった。冠雪の浅間山は、ヒマラヤハウスへ向かう途中、まるで眼前に押しかかるように存在していたが、写真を撮っても浅間山は写っていなかった。雲と山の色が同化して識別できなかったようだ。
談話のあと、ヒマラヤハウスの庭を散策した。冬かと思っていたらもう春のけはいがしていた。やがて雨が降ってきた。今日はじめての雨ではなく、断続して降り続いていると店主は言った。今時分はこの雨が、時として雪に変わるのですと夫人が言った。私は午後3時に夫妻と別れを告げた。帰路はとてつもない大スケールの自然渋滞にあった。往復走行キロ390キロ。帰りは6時間を要した。
人と出会えることはとても楽しい。ニ度目の訪問で裏を返して、布を語って通い合える仲の良い友達同士になってしまった私は、次回にはおなじみさんになるだろうと思った。ましてや私には名誉あるヒマラヤハウスカード決済者第一号勲章を持っている。
また、私は旅の寄り道の入り口に立っている。人生で一番大事なことは出会いと別れである。私はこのことを多感な思春期のころ、亀井勝一郎氏の書物から学んだ。いま65歳になって多くを経験し、振返ると確かにその通りだと思う。
月曜日に知人から連絡が入って、日曜日の雨は夜から雪に変わり5センチほど積もったと知らせてくれた。早くから雪になれば夏タイヤで行った私は帰れないところであった。ヒマラヤハウスでは、ぼた雪が降って13センチも積もったそうだ。私は咲きはじめたクロッカスの花がまた、雪に埋もれてしまったと気になった。