以前、宇宿小学校を訪問した折に、学校の何処にも絵画が一枚もないことに気付いた。そこで帰京してから、手元にある油彩画から「道化師の家族」を選んで小学校に寄贈した。小学校は殊のほか喜んでくれて、児童一人ひとり全員から熱い御礼の作文が届いた。一年生になったばかりのこどもから、六年生の児童に至るまで全員が一枚の絵について語り自分の心情を吐露した作文であった。その上、小学校は絵画寄贈式をやってくれて泰さんが出席してくれた。今回私が奄美へ訪問するちょうど3日目に父兄や関係者を集めて給食会が開催されることになっていた。私の訪問は泰さんを通じて小学校にも伝わりそこでぜひとも出席をしてくださいと校長先生から招待状が届いたのである。
児童数三十余名の小学校で給食会の参加者はなんと100名以上に及び給食センターの人も、あまりにたくさんの人が集まっていることに驚いていた。
これが給食のメニューである。私は子どもの頃に食べたコッペパンを連想したが口にすると、ふあふあのパンでスープもおいしく、給食はこんなにおいしかったのかと驚いた。私の子どもの頃は進駐軍から支給される脱脂粉乳のミルクと、硬いコッペパンと、ジャムだけの給食であったからである。
食事が終わると児童による宇宿集落の稲スリ唄が披露された。奄美はこうして集落ごとの唄があって、こども達は伝統を受け継いでいるのだ。
昼食会に参加いただいた御礼を述べたあと、六年生の勢田恵利さんは絵画を送っていただいた礼を私に向かって述べ「私は毎朝登校すると絵に向かって今日も一日がんばりますと約束をします」と言った。勢田さんのスピーチは校長先生の計らいに違いなかった。
私は豊饒の喜びに包まれたこの瞬間に覚悟した。「幸せを求めている間は幸せを掴むことはできない。幸せを相手に差し伸べた時に、本当の幸せが自分に訪れる」。一枚の絵を寄贈したのではない。私は宇宿小学校から人生の真理を教えていただいたのである。
アカショウビンが営巣するせんだんの木にはアカショウビンはいなかったが、かわりにこどもたちがサッカーに興じ校庭を走り回っていた。校長先生は玄関に立って私達が見えなくなるまで見送ってくれた。
徳校長は私にこんな話をした。「島には島から旅立つ人を見送り、また島へ戻ってくる人を迎える風習があります。島で暮らした人が外へでることは時に苦難を伴います。島の人はその苦難を自分が、自分がしなくても父や母が、祖父や祖母がしていることを知っているから、それは島の風習となって、旅立つ人をがんばっておいでと見送り、帰ってくる人をお帰りなさいと笑顔で迎えるのです。だから島の人情に支えられて苦難にめげず生きていくことができるのです」