学生時代からの友人は、夫人と離婚し、一人暮らしをしていたが、再婚しようと思っているんだと相談を受けた。彼が住む小さな町では名士であり、公的な仕事にもついて、会社も経営している。田舎らしい大きな家に娘と二人で暮らしている。純情さは若いころといまも変わらない。
私は「よせ」と言った。再婚相手がどんな人であろうと彼女が引きずるものをすべて持ってくる。彼女のすべてだ。お前も引きずるものを持ってその人と一緒になる。初めはよかろうがどの程度の覚悟をもって再婚するのか、覚悟がなければ、必ず引きずるものがお前の重荷になってくる。
向こうも一緒だ。お前は事業を継ぐつもりで精を出している娘さんと一緒に暮し、何の不自由もないわがままな暮らしをしている。それでいいではないか。
友は好きになってしまったといった。彼は私より3歳上だからいま72歳になっている。
好きな人とお茶飲み友達なんてよい話ではないか。と私は切り返した。
学生時代からの彼をよく知っている。友人がそれほどの覚悟を持っているとは到底思えなかった。いつも失敗した。損をした。やらなければよかったという言葉を口にしていた。
好きになったとまた言った。愛してしまったのかと聞いたらそうだと答えた。愛してしまったのだといった。
それはそれで悪いことではないだけど、なぜ結婚しなければいけないのかと聞いた。
毎日一緒にいたくてね。
それなら毎日会ってお茶を飲めばいいじゃないの。
小さな町だからそんなことをしていたらすぐに噂が立ってどうしようもない。
きっと最高にチャーミングな姿を、お前に見せているんだろうな。子供はいるのか。
男の子供が二人いる。二人ともいい歳だ。
何をやっているのか。
大したことはやっていない。
籍を入れてお前が先に死んだら、遺言状を残さない限り遺産の半分はその人のものになる。親から受け継いだ会社の株式も何もかもだ。それでもいいのか。彼女が引きずるものをだんだんと見えてきた時にも、それでよいという覚悟があるなら良い。しかし後悔するな。一切の後悔はするな。すべてを受け止めてその人を守ろうというならそれは価値がある。何もいらない。あなたといつも一緒にいたい。それを貫きたい。それでよかったら一緒になったらいいんじゃないか。
彼は学生の時から損得で物事を語っていた。潔癖なゼミの教授はそれをいつも指弾して友の生き方が好ましくないと言っていた。
その友人から再び連絡があった。
忠告を聴いてよかった。親しい人に訊いたら彼女のことがぼろぼろでてきて、一緒になったら大変なことになっていたよ。
私は不愉快になって、相槌だけ打って電話を切った。彼は自分自身を愛しているだけだとすぐに思った。人の過去を暴いてボロボロ出ると語る。ここには心配りのかけらもない。
私も立派なことは言えない。自分自身のことを愛しているだけだと指摘しながら、自分に振り返って考えると思い当たる節はたくさんある。
愛とは何かとよく考える。
愛とは生物が生き抜くための力になるもの。
愛の力を借りなければ子孫は増えない。愛は自然から授かった生き抜くための力だ。
生命が生き抜くために授かった力を、時に自分のために使う。彼も彼女もだ。やがて愛は打算と化し、打算になったとたんに愛は消えうせ、自分も相手も傷つける両刃の剣に変わる。
自然はあらゆる力を使って生き抜くことの手助けをしてくれるけれど、片方で生命を殺すためにもあらゆる力を使って手助けをする。
私の方から電話を掛けた。忙しくて話をゆっくりと聴けなかったことをついでに詫びた。
彼はけろりとしていた。老いらくの恋は冷めたようだ。
いやあ。まいったよ。俺と彼女が会っていたことが町で噂になっていたらしい。いやはや参った。
いいじゃないか。それだけの熱病にかかったのだから副作用は受け止めなければ。やがて忘れるよ。
この話はこれで終わりである。
若き日の恋は、はにかみて
おもて赤らめ、壮子時の
四十歳の恋は、世の中に
かれこれ心配れども、
墓場に近き老いらくの
恋は、怖るる何ものもなし(「恋の重荷」より)
歌人であり、住友総本社の常務であった川田順は、若き人妻俊子を紹介され、弟子とするがやがて恋に落ち逢瀬を重ねるようになる。戦争中のことだ。
樫の実のひとり者にて終らむと思へるときに君現はれぬ 川田順
はしたなき世の人言をくやしとも悲しとも思へしかも悔いなく 俊子
川田順は、思い悩む。二度と会わないと俊子の夫に誓うが、恋心は燃えるばかりで逢瀬を重ねる。ついに俊子は京都大学教授であった夫と離婚をするが、川田順は遺書を残して自殺を図る。
げに詩人は常若と
思ひあがりて、老が身に
恋の重荷をになひしが、
群肝疲れ、うつそみの
力も尽きて、崩折れて、
あはれ墓場へよろよろと。 (「恋の重荷」より)
長詩「恋の重荷」は、遺書代わりに朝日新聞の局長に送ったためマスコミに知れ渡ることになり、老いらくの恋という言葉はここから生まれる。
川田順の自殺は未遂に終わる。
たまきはる命うれしもこれの世に再び生きて君が声を聴く
二人は結婚することに覚悟を決める。
何一つ成し遂げざりしわれながら君を思ふはつひに貫く
川田順67歳。俊子39歳の時である。
昭和41年(1966年)、川田順は84歳の人生を閉じ、俊子は、鈴鹿俊子の名で歌人として活躍し、平成8年(1996年)98歳の天寿を全うするのだが、二人の行く末はその時は誰も分からない。
今を生きること。
いつでも過去を振り返らず前に進むこと。
どんな恋をしようと、どんな出会いをしようと、またどのような別れ方をしようと、それ以外に生き抜く方法はない。生き抜こうとする人にだけ自然は全力で手助けをしてくれる。明日はわからない。今を前に向かって生きるしか方法はない。
わが友人は天使からいたずらをされたのだと思う。彼らしい結末を迎え一安心というところだ。